ラッキー・トンプソン (テナー・サックス) 

Lucky Thompson (Tenor sax)

ラッキー・トンプソン

本名:イーライ・トンプソン (Eli Thompson)
1924年6月16日サウス・キャロライナ州コロンビアの生まれ。
2005年7月30日ワシントン州シアトルにて死去。

サウスカロライナ州コロンビアで生まれたが、少年時代にミシガン州デトロイトに引っ越した。
母親が亡くなり、弟たちの面倒を見ながら、楽器を手に入れる前からほうきの柄でサックスの指使いを勉強したという。
1942年、高校卒業後にアースキン・ホーキンスのバンドへ加入した。
ライオネル・ハンプトンや、ドン・レッドマン、ディジー・ガレスピー、チャーリー・パーカーの在籍していたビリー・エクスタイン、
ラッキー・ミリンダー、カウント・ベイシーの楽団で演奏を行った。
後には、ケニー・クラーク、マイルス・デイヴィス、ガレスピー、ミルト・ジャクソンとともにビ・バップ、ハード・バップも演奏するようになった。
「スウィング時代とビバップの懸け橋になり、アブストラクトなハーモニーの洗練されたアプローチでドン・バイアス、
コールマン・ホーキンスから一歩前進し、チャーリー・パーカーの圧倒的な影響力に対抗した」と言われる。
1950年代中期にスタン・ケントンのアルバム『Cuban Fire!』などでサイドマンとして演奏しながら、リーダー作品も残した。
パーカーとは1946年のダイアル・レコードにおける二度のセッションで共演し、デイヴィスの1954年の復活作『ウォーキン』でも共演している。
ABC、プレスティッジにリーダー作品を吹き込んでいる。
アメリカの音楽産業に批判的だったと伝えられ、パリへと移住し、1957年から1962年まで現地で活動を行った。
後一旦ニューヨークに戻ったが、1968年から1970年にかけては、スイス・ローザンヌ地方に移住した。
1973年から1974年にはダートマス大学で教えていたが、その後足取りが途絶えている。
噂では、1990年初頭までホームレスとなり、世捨て人として暮らしていたという。
2005年7月30日、介護施設でアルツハイマー病により亡くなったという。
1944年のカウント・ベイシーの演奏に名前が見える。

レコード・CD


"The Basie special"(Everybodys EV-3004)
"Boyd Raeburn/Where you at"(Hep 3)
"Boyd Raeburn/Nemphis in June"(Hep 22)
"Charlie Mingus/The Young Rebel"(Properbox 77)
"Charlie Parker/On Dial Volume1"(Spotlite 101)
「チャーリー・パーカー・オン・ダイヤル Vol.1」(TOCJ-6201)
"Charlie Parker/Lotus land"(Spotlite SPJ123)
「アイヴィー・アンダーソンとヘレン・ヒュームズ」(Storyville ULS-1560-R)