本名:ミルトン・ジャクソン (Milton Jackson)
1923年1月1日ミシガン州デトロイト生まれ。
1999年10月9日ニューヨークにて死去。
同時代の多くの人々と同様に、幼い頃から教会音楽に親しんでいたという。
7歳でギターを始め、11歳でピアノを始めた。
ミラー高校在学中はドラム、ティンパニ、バイオリンを演奏し、聖歌隊では歌も歌っていた。
16歳のとき、エバンジェリスト・シンガーズという地元のゴスペル・カルテットでプロとして歌った。
同じ16歳の頃ベニー・グッドマンのバンドでライオネル・ハンプトンが演奏するのを聴き、ヴァイブラフォンを始めた。
1945年ディジー・ガレスピーに見出され、彼のセクステットに加わった。
そのすぐ後には、ウディ・ハーマン、ハワード・マギー、セロニアス・モンク、チャーリー・パーカーなど、
当時のジャズ界の最も重要な人物たちと仕事をし、経験を積んだ。
ガレスピーのビッグ・バンドでは、モダン・ジャズ・カルテットの設立につながる出会いがあった。
ガレスピーはビッグ・バンド内のコンボというかつてのスウィングの伝統を維持していた。
ジョン・ルイス(P)、レイ・ブラウン(B)、ケニー・クラーク(Ds)とコンボ演奏する間にブラスとリードは休憩を取った。
1950年頃、4人は独立したグループになることを決めた。
この4人組は最初はミルト・ジャクソン・カルテットと名乗ったが、1952年にモダン・ジャズ・カルテット(MJQ)と改名した。
その時にはベースはパーシー・ヒースに代わっていた。
1955年には、ドラムスのクラークがコニー・ケイに代わった。
MJQは、1974年に解散するまで、約20年間の長い独立したキャリアを誇った。
しかし、グループは1981年に再結成し、1993年まで継続された。
MJQ以外にも様々なコンボで演奏、吹込みを行った。
1989年、バークリー音楽大学から名誉音楽博士号を授与された。>
1999年ニューヨーク・マンハッタンで肝臓癌のため76歳で死去した。
1945年のディジー・ガレスピー、チャーリー・パーカーの吹込みに名前が見える。
"Charlie Parker/Lotus land"(Spotlite SPJ123)
"Charlie Mingus/The Young Rebel"(Properbox 77)
「ディジー・ガレスピーとビ・バップ・イーラ」(RCA RMP-5119)
"Dizzy Gillespie/Dizziest"(RCA 5785-1-RB)
「ディジー・ガレスピー/シングス・トゥ・カム」(Columbia YW-7534-EV)
"Dizzy Gillespie/Professor bop"(Atlantis ATS-11)
"Dizzy Gillespie/Groovin high"(Savoy MG-12020)
"The Fats Navarro story"(Properbox 11)
"Fat Navarro/The 1946-49 small group sesions"(Blue moon BMCD 1016)