ネルソン・リドル(トロンボーン、バンド・リーダー、作・編曲家)

Nelson Riddle (Trombone , Band leader & Arranger)

ネルソン・リドル

フルネーム:ネルソン・スモック・リドル・ジュニア(Nelson Smock Riddle Jr.)
1921年6月1日ニュージャージー州オラデル生まれ。
1985年10月6日カリフォルニア州ロス・アンゼルスにて死去。

8歳でピアノのレッスンを受け始め、 14歳でトロンボーンのレッスンを受け始めた。
10代の頃には、プロのミュージシャンになることを決意していたという。
トロンボーン奏者を志望したが断念し、作曲と編曲に転向したという。
アレンジャーのビル・フィネガンと出会い、彼から編曲のレッスンを受けるようになった。
するとリドルは忽ち才能を発揮し、数年のうちにグレン・ミラーの「リトル・ブラウン・ジャグ」やトミー・ドーシーの「クロエ」などスウィング時代の最も人気曲のアレンジを手掛けるようになる。
1944年トミー・ドーシーのオーケストラに入団した。
そこで11か月間オーケストラの第3トロンボーン奏者を務めていたが、 1945年4月、第二次世界大戦が終わる直前に陸軍に徴兵された。
1946年6月除隊した後ハリウッドに移り、編曲家としてのキャリアを積み、その後数年間は複数のラジオやレコードプロジェクトの編曲を手がけた。
1950年、リドルは作曲家レス・バクスターに雇われ、ナット・キング・コールとのレコーディング・セッションの編曲を依頼された。
リドルが編曲した曲の一つ「モナ・リザ」はすぐにコールのキャリアで最も売れたシングルとなった。
1953年、キャピトル・レコードの重役たちは、フランク・シナトラのアレンジを担当する第一候補として、新進気鋭のリドルを考えた。
しかしシナトラは乗り気ではなく、コロンビア・レコード時代からの長年の協力者であるアクセル・ストーダルと契約を続けることを望んだ。
ストーダルとの最初の数枚のキャピトル盤の成功が期待外れになると、シナトラは最終的に折れ、リドルがシナトラとの最初のセッションのアレンジに呼ばれ、1953年4月30日に行われた。
リドルとシナトラのパートナーシップによる最初の作品「I've Got the World on a String」は大ヒットとなり、低迷していたシナトラのキャリアを再浮上させたと言われる。
次の10年間はシナトラやコールのアレンジを続けた。
さらにケイト・スミス、ジュディ・ガーランド、ディーン・マーティン、スー・レイニーなどのキャピトル所属のアーティストのアレンジも手がけた。
その後映画音楽にも進出し、編曲家として成功を収め続けた。
1962年エラ・フィッツジェラルドと仕事を続け、ボサ・ノヴァのトム・ジョビンともパートナーを組んだ。
その後1970年代も映画やテレビで、活躍をつづけ、1974年版『グレート・ギャツビー』の音楽を担当し、初のアカデミー賞を受賞した。
1973年には、『ジュリー・アンドリュース・アワー』の音楽監督を務め、エミー賞を受賞した。
1982年の春、リンダ・ロンシュタットとタッグを組み、3枚のアルバムを製作、3枚合わせて700万枚以上を売り上げた。
このリンダ・ロンシュタットの『What's New』(1983年)と『Lush Life』(1984年)のアレンジで、2度目と3度目のグラミー賞を受賞した。
1944年のトミー・ドーシーの吹込みに名前が見える。

レコード・CD

「RCAジャズ栄光の遺産シリーズ/ザ・サウンド・オブ・スイング」(RCA RA61)
「オリジナル・トミー・ドーシー・ベスト・コレクション」(RCA RA-9007-08)