本名:ポール・ウエットスタイン(Paul Wetstein)
1912年3月12日マサチューセッツ州スプリングフィールド生まれ。
1996年9月20日カリフォルニア州サンタモニカにて死去。
『ジャズ人名辞典』未収録。
「ムード音楽の父」と言われる。
幼い頃から音楽に強い関心を持ち、8歳からピアノを習った。
スプリングフィールド高校を卒業し、その後ダートマス大学とコロンビア大学に進学した。
ダートマス大学では、自身のバンドを結成し、大学のバンドとツアーを行った。
鉄道事故に合い、一時的に演奏できず、回復するまで編曲を行った。
1934年に最初の編曲をジョー・ヘイムズに売却した。
彼の音楽を聴いたルディ・ヴァレーは、ウェストンにラジオ番組の仕事を提供した。
また彼はヘイムズを通じてトミー・ドーシーと知り合い、1936年にドーシーのオーケストラのメンバーになった。
1938年にザ・パイド・パイパーズを聴いたウェストンはドーシーを説得して雇わせ、ツアーに帯同した。
1940年にドーシーの楽団を離れた後、映画の仕事のオファーを受けてハリウッドに移った。
カリフォルニアでジョニー・マーサーと出会い、彼の新しいレーベル、キャピトル・レコードのために曲を書くよう誘われ、音楽監督に就任した。
そこで歌手のジョー・スタッフォードと仕事をし、2人は1952年に結婚した。
1950年代から1970年代にかけてテレビ業界で幅広く活躍し、また1959年に始まったグラミー賞の創設に尽力した。
ウェストン夫妻は1970年代に芸能界を引退し、発達障害者を支援する慈善活動に携わった。
1944年のパイド・パイパースのレコードに名前が見える。
"The Pied pipers/Good deal MacNeal"(Hep 33)