パール・ベイリー(ヴォーカル)

Pearl Bailey (Vocal)

パール・ベイリー

フルネーム:パール・メェ・ベイリー(Pearl Mae Bailey)
1918年3月29日ヴァージニア州ニューポート・ニュース生まれ。
1990年8月17日ペンシルヴァニア州フィラデルフィアにて死去。

幼い頃、家族はワシントンD.C.に引っ越した。両親の離婚後、ベイリーは母親と一緒に暮らすためにフィラデルフィアに引っ越した。
1930年代にフィラデルフィアの黒人ナイトクラブで歌とダンスを始め、すぐに東海岸の他の地域でもパフォーマンスを始めた。
1941年、第二次世界大戦中にUSOと共にアメリカ軍の前で演奏しながら全国ツアーを行った。
ツアーの後、彼女はニューヨークに定住した。ナイトクラブのパフォーマーとしてソロで成功した後、
キャブ・キャロウェイやデューク・エリントンらと共演を果たした。
1946年に『セントルイス・ウーマン』でブロードウェイ・デビューを果たした。
1952年11月19日、ロンドンでジャズドラマーのルイ・ベルソンと結婚した。
2人は38年後の1990年に彼女が亡くなるまで結婚生活を続けた。ベルソンはベイリーより6歳年下で白人だった。
当時は異人種間のカップルは珍しく、ベルソンの父親はベイリーの人種を理由に結婚に反対したと伝えられている。
1968年、『ハロー・ドリー!』の主役でトニー賞特別賞を受賞した。
1976年、黒人として初めて全米映画俳優組合生涯功労賞を受賞した。
1985年、67歳の時にワシントンD.C.のジョージタウン大学で神学の学位を取得した。学位取得には7年かかった。
1986年、ABCアフター・スクール・スペシャル『シンディ・エラー: 現代のおとぎ話』で妖精の名付け親を演じ、デイタイム・エミー賞を受賞した。
彼女は1988年10月17日にレーガン大統領から大統領自由勲章を授与された。
1990年8月17日にフィラデルフィアのトーマス・ジェファーソン大学病院で亡くなった。
心臓病を患っており、検死の結果、死因は冠動脈の狭窄であることが確認された。
バド・パウエルの加わったクーティ・ウィリアムズの1944年の録音に名前が見える。

レコード・CD

「クーティー・ウィリアムズ/セクステット・アンド・オーケストラ」(Storyville ULS-1558-R)