1915年12月25日イタリア/サン・ピエロ・パッティ生まれ。
2011年10月16日カリフォルニア州シャーマン・オークスにて死去。
シチリア島のサン・ピエーロ・パッティで生まれたが、家族と共に1920年にアメリカに移住し、
カリフォルニア州サンタローザに定住した。
音楽一家で、父親と同じようにバリトン・ホルンの演奏を始めたが、すぐに他の楽器、
特にフレンチ・ホルンとピアノにも手を広げた。
サンフランシスコ州立大学で学士号を取得し、その後カリフォルニア州オークランドの
ミルズ大学でダリウス・ミヨーに作曲を学び、修士号を取得した。
卒業後、ギタリストでバンド・リーダーのジョニー・リチャーズに編曲家兼作曲家として雇われた。
第二次世界大戦中には、アメリカ陸軍の軍楽隊でアルト奏者のポール・デスモンドと演奏して過ごした。
終戦後、スタン・ケントンの楽団に加入した。
1950年代もケントンと時折仕事を続けたが、ポップスやジャズのボーカリスト向けのアレンジが仕事の中心となった。
元ケントン楽団の歌手ジューン・クリスティと『サムシング・クール』などを制作した。
他にミュージカル映画に取り組んだ他、1950年代後半にはマーキュリー・レコードのA&Rディレクターを務めた。
1960年代と1970年代はテレビ界で多くの仕事をし、数多くのシリーズに音楽を提供した。
スタン・ケントンの1946年の吹込みに名前が見える。
"Stan Kenton/The Christy years"(ST 1035)
"Stan Kenton/The comprehensive"(Capitol STB-12016)
"Stan Kenton/The fabulous alumni of"(ST 1028)