レッド・ロドニー(トランペット)

Red Rodney(Trumpet)

レッド・ロドニー

本名:ロバート・ローランド・チャドニック(Robert Roland Chudnick)
1927年9月27日ペンシルヴェニア州フィラデルフィア生まれ。
1994年5月24日フロリダ州ポイントンビーチにて死去。

15歳でプロのミュージシャンになり、1940年代半ばにジェリー・ウォルド、ジミー・ドーシー、ジョージー・オールド、
エリオット・ローレンス、ベニー・グッドマン、レス・ブラウンのビッグ・バンドで働いた。
その後ディジー・ガレスピーとチャーリー・パーカーを聴きインスピレーションを得、ビ・バップを志向するようになった。
クロード・ソーンヒル、ジーン・クルーパ、ウディ・ハーマンなどと演奏していたが、チャーリー・パーカーから招かれ、
クインテットに参加、1949年から1951年までパーカーのバンドのメンバーとなった。
グループの唯一の白人メンバーであった彼は、南部で演奏していたとき、混血の音楽コンボに対する偏見を避けるため、
策略として「アルビノ・レッド」として宣伝された。
1950年代にはフィラデルフィアでバンドを率い、アイラ・サリバンとレコーディングを行った。
パーカーの影響でヘロイン中毒になり、そのため何度か演奏活動を中断せざるを得なくなった。
1969年、ラスベガスで、ラス・ブラック率いるフラミンゴ・カジノ・ハウス・バンドの一員として、1972年まで在団した。
1975年、麻薬犯罪でケンタッキー州レキシントンに投獄された。
1982年アイラ・サリバンと再会し、ディジー・ガレスピーとも共演した。
1980年から1982年にかけて、ロドニーはサリバンと5枚のアルバムを制作するなど1990年代まで仕事とレコーディングを続けた。
ローリング・ストーンズのドラマーであるチャーリー・ワッツのチャーリー・パーカーのトリビュート・アルバムに出演し、
クリント・イーストウッド監督のチャーリー・パーカーを題材にした映画『バード』のアドバイザーも務めた。
1994年5月27日に肺がんのため亡くなった。
1946年ジーン・クルーパの録音に名前が見える。

レコード・CD

"Gene Krupa/Drummin' man"(Columbia C2L 29)
「クロウド・ソーンヒル・オーケストラ/ザ・リアル・バース・オブ・ザ・クール」(CBS SOPC-57104)
"Claude Thornhill Orchestra/Encores"(Columbia CL 6164)
"Claude Thornhill Orchestra/Sleepy serenade"(Design records DLP 50)