フルネーム:ロイ・オウエン・ヘインズ(Roy Owen Haynes)
1925年3月13日マサチューセッツ州ボストン生まれ。
2024年11月12日ニューヨーク州ナッソーにて死去。
80年以上ジャズの第一線で活躍した、リジェンド。
独特のスネアの音とプレイ・スタイルから「スナップ・クラックル」と呼ばれる。
ジャズ界で最も多くレコーディングに加わったドラマーの一人であり、スウィング時代からプレイを始め、
ビ・バップ、モダン・ジャズ、フュージョンからアバンギャルド・ジャズまで幅広くプレイができる逸材だった。
ボストンのロクスベリー地区で、バルバドスからの移民の子として生まれた。
弟のマイケル・E・ヘインズはマサチューセッツ州の黒人コミュニティの重要な指導者となり、
公民権運動ではマーティン・ルーサー・キングと共に活動し、州下院でロクスベリーを代表し、
40年間第12バプテスト教会の牧師を務めた。
キングはボストン大学で博士号を取得する間もこの教会の会員であった。
1942年10代からボストンでサビー・ルイス、フランキー・ニュートン、ピート・ブラウンなどと仕事をし、
1945年にフルタイムのプロとしてのキャリアを開始した。
45年以降レスター・ヤング、カイ・ウィンディングなどのグループに加わり、1947年から1949年まで
サックス奏者のレスター・ヤングと活動し、1949年から1952年まではチャーリー・パーカーのコンボに加わった。
バド・パウエル、ワーデル・グレイ、スタン・ゲッツのレコーディングにも参加した。
53年にサラ・ヴォーンの伴奏コンボに参加、58年まで在籍した。
サラの伴奏を辞めてから再びモダン・ジャズの世界に戻り、
フィニアス・ニューボーン、マイルス・ディヴィス、リー・コニッツ、ジョン・コルトレーンらと共演した。
1960年代にはジョン・コルトレーンのグループの一員となり、エルヴィン・ジョーンズの代役を務めることもあった。
65年以降スタン・ゲッツ、ゲイリー・バートンなどのグループを経て、その後は暫く自己のグループを率いて活躍していた。
1990年にパット・メセニーと共にアルバム『クエスチョン・アンド・アンサー』を製作した。
ローリング・ストーンズのチャーリー・ワッツは、「彼は83歳で、2006年の「モダン・ドラマー」誌の読者投票で、
最優秀コンテンポラリー・ジャズ・ドラマーに選ばれた。素晴らしい」と讃えている。
その後も活動を続け、自身名義の最後のアルバム「ロイ・アルティ」は2011年にリリースされた。
1999年、モダン・ドラマーの殿堂入りを果たした。
2024年11月12日、短い闘病生活の後、ニューヨーク州ロングアイランド南岸のナッソーで99歳で亡くなった。
1994年にデンマーク・ジャズパー賞を受賞するなど海外でも数多くの受賞歴がある。
2010年12月22日、全米レコーディング芸術科学アカデミーよりグラミー賞生涯功労賞の受賞者に選ばれ、
2012年2月11日の第54回グラミー賞特別功労賞授賞。
僕は、1971年高校3年の時ドラム合戦で来日した時そのプレイを見ている。
想像通り細かく叩きまくるプレイを見て「ああ、これがかのビッグ・スター、ロイ・ヘインズだ!」と感激した覚えがある。
1944年のレスター・ヤングの吹込みに名前が見えるが、これが初吹込みかもしれない。
「ブルー・レスター」(Savoy Mg 12068)
「ジ・イモータル・レスター・ヤング」(COCY-9807)
「ザ・マスターズ・タッチ」(Savoy MG-12071)
"Lester Young/The complete Aladin recordings"(Blue note CDP 7243 8 32787 2 5)
「レスター・ヤング/ザ・コンプリート・アラジン・セッションズ 第2集」(King records K18P-9257)
「ベスト・オブ・レスター・ヤング」(Victor MJ-7042)