ラッセル・ムーア (トロンボーン)

Russell Moore(Trombone)

ラッセル・ムーア

仇名:ビッグ・チーフ(Big Chief)
1912年8月13日アリゾナ州サカトン生まれ。
1983年12月15日ニューヨーク州ナイアックにて死去。

ネイティブ・アメリカンのピマ族に属する5人兄弟のうちの1人として生まれた。
地元の学校バンドの音楽や伝統的なピマ音楽に触れ、幼い頃から音楽への興味を抱いた。
1924年に父親が亡くなった後、弟のエベレットイリノイ州ブルー・アイランドの叔父の家に移った。
叔父はバンド・リーダーで、兄弟にトランペット、フレンチホルン、トロンボーン、ピアノ、などを教えた。
1929年叔父一家を離れ、シカゴのサウスサイドで雑用の仕事に就き、サヴォイ・ボールルームの外に立っていた時、
初めてルイ・アームストロングの演奏を聞いた。
その後叔父の家に戻り、1929年末にツーソン高校に入学し、学校のバンドでトロンボーンを演奏した。
1930年カリフォルニアのシャーマン・インディアン高校に通い、再びスクール・バンドや地元のアーティストと演奏し、
1933年「新進気鋭のジャズマン・オブ・ザ・イヤー」に選ばれた。
その後、ロサンゼルスに移り、フリーランスのミュージシャンとしてエディ・ベアフィールドなどのバンドで演奏した。
1935年にライオネル・ハンプトンのバンドに加わったことで、大きな一歩を踏み出すことになった。
ハンプトンのグループがニューヨークに移動したため脱退し、ロサンゼルスに留まった。
イーライ・ライスのバンドのツアーに加わった後、ルイジアナ州でパパ・セレスティンのバンドに加わり、
ニュー・オーリンズに移住した。
そこでは、キッド・レナ、ポール・バーバリン、アーニー・フィールズなど、多くのアーティストとバンドで働いた。
1940年代初頭はアルバータ・ハンター、ハーラン・レナード、ノーブル・シスルと共演した。
1944年末、サッチモのオーケストラの演奏を見て、ニューヨークでサッチモに会いに行った。
バンドに採用され、サッチモの最後のビッグ・バンドでリード・トロンボーンを3年間担当した。
サッチモのオーケストラが解散した後、シドニー・ベシェのカルテットに加わりヨーロッパ・ツアーに同行した。
1950年代はルビー・ブラフ、ピー・ウィー・ラッセル、エディ・コンドン、ワイルド・ビル・デイヴィソン、
ジミー・マクパートランド、メズ・メズロウ、フランク・シナトラ、バック・クレイトンなどのツアーに参加し続けた。
1964年サッチモのバンドに再び合流し、ハロー・ドリーなどの有名なレコーディングにも加わった。
サッチモのオールスターズとともにヨーロッパ、アジア、太平洋をツアーした。
1970年代に自己名義で2枚のアルバムをリリースした。
1980年代初頭はディキシーランドのバンドを率いて、カナダやイギリスをツアーした。
1983年12月、糖尿病に伴う長期にわたる闘病の末、ニューヨーク州ナイアックで亡くなった。
1946年ビリー・ホリデイが客演したルイ・アームストロングのレコーディングに名前が見える。

レコード・CD

"Billie Holiday/Live and private recordings in Chronological order"