タッド・ダメロン(ピアノ、作曲、編曲)

Tadd Dameron (Piano , Compose & Arrangement)

タッド・ダメロン

フルネーム:タッドリー・ユーイング・ピーク・ダメロン(Tadley Ewing Peake Dameron)
1917年2月21日オハイオ州クリーヴランド生まれ。
1965年3月8日ニューヨークにて死去。

「バップ時代を明確にした作・編曲家」と言われた重要人物。
ビ・バップ時代の最も重要な編曲家であったが、スウィングやハード・バップのミュージシャンにも楽曲を提供している。
カウント・ベイシーやアーティ・ショウ、ジミー・ランスフォードらのバンドのためにも編曲を手がけた。
1930年代半ば、フレディ・ウエブスターのバンドのピアニストとして、キャリアをスタートさせた。
39年ニューヨークで、ヴィド・ムッソの楽団に加わり、1940年〜41年にかけてはハーラン・レナードのバンドのピアニスト兼アレンジャーとなる。
この頃からジミー・ランスフォード、ジョージ・オウルド、ビリー・エクスタインなどにスコアを提供するようになった。
その一方で、チャーリー・パーカーやディジー・ガレスピーらのビ・バッパー達とも共演する。
45〜47年第一次ディジー・ガレスピーのビッグ・バンドのために編曲を書き、
1948年にカーネギー・ホールで大規模なオーケストラ曲「Soulphony in Three Hearts」を初演した。
1948年にはファッツ・ナヴァロを含む自身のグループを率いた。
翌年、ダメロンはマイルス・デイヴィスと共にパリ・ジャズ・フェスティバルに出演した。
53年クリフォード・ブラウン、フィリー・ジョー・ジョーンズを含むバンドを結成したが、麻薬禍のため活動を縮小せざるを得なくなった。
さらに1957年と1958年に麻薬容疑で逮捕され、1959年から1960年にかけてケンタッキー州レキシントンの連邦刑務所病院で服役した。
60年代に活動を再開し、ミルト・ジャクソン、ソニー・スティット、ブルー・ミッチェルなどのレコーディングにスコアを提供した。
作曲の面では、ジョージ・ガーシュウィンとデューク・エリントンの影響を受けたと言われ、具体的には、「Hot House」や「If You Could See Me Now」、
「Our Delight」、「Good Bait」、「Lady Bird」などが代表作と言われる。
晩年まで薬物依存症を患い、1965年に48歳で癌で亡くなるまで、数度の心臓発作にも苛まれている。
1940年代後半から1950年代初頭にかけてのダメロンのバンドには、ファッツ・ナヴァロ、マイルス・デイヴィス、デクスター・ゴードン、
ソニー・ロリンズ、ワーデル・グレイ、クリフォード・ブラウンなどの重要なプレーヤーがいた。
没後に再評価が行われ、多くのトリビュート・アルバムが作られた。
チャーリー・パーカー、ディジー・ガレスピーを含むサラ・ヴォーンの1945年の録音に名前が見える。

レコード・CD

"Charlie Parker/Every bit of it"(Spotlite SPJ150D)
"Hall of fame/Sarah Vaughan"(Past perfect 220209)