ザ・センチメンタリスツ (ヴォーカル)

The Sentimentalists (Vocal)

ザ・センチメンタリスツ

『ジャズ人名辞典』未収録。
元は、メアリー・クラーク・ブランソン、ペギー・クラーク・シュワルツ、アン・クラーク・テリー、ジーン・クラーク・フリルの
姉妹からなるノースダコタ州グランドフォークス出身のコーラス・グループで、「クラーク・シスターズ」と名乗っていた。
トミー・ドーシー・バンドの人気コーラス・グループ、ザ・パイド・パイパースが独立した後、1944年トミー・ドーシー・バンドに雇われ、
トミー・ドーシーのヒット曲「センチになって」に因み、「ザ・センチメンタリスツ」と名乗るようになった。
その時彼女たちは、わずか17歳から23歳だった。
幼いころから歌い始め、1930年代後半には市民イベントや教会の礼拝で一緒に歌っていた。
地元である程度有名になった後、姉妹は列車でニューヨークへ行き、そこでメジャー・ボウズ・アマチュア・アワーに何度か出演した。
優勝は逃したものの、USOショーに数か月間出演する契約を獲得した。
USOツアーの後、彼らはニューヨークに戻った。
トミー・ドーシーは、彼のバンドで非常に人気のあったザ・パイド・パイパーズに代わるボーカル カルテットを探していた。
姉妹はウエスト45番街のアパートで、ドーシーのオーディションを受け、ドーシーはその場で姉妹に仕事のオファーをした。
ドーシーのラジオ番組に彼女たちが数回出演した後 (出演者の名前はクレジットされていなかった)、
ドーシーはリスナーから新しいボーカリストについての問い合わせを受けるようになり、彼女たちの可能性を認識し、彼女たちを番組のレギュラーや特別出演に組み込んでいった。
ドーシーは、彼女たち自身の名前で活動するのを許さず、彼女たちを「センチメンタリスツ」と改名した。
彼女たちの「健全な」美貌と外向的な性格はバンド・メンバーに気に入られ、彼らは彼女らと友達になり、彼女らを守るように振舞った。
彼女たちは、ドーシー・バンドに在籍中、"I should care"、"On the Atchison , Topeka and the Santa Fe"、"On the sunnyside of the street"、
"Chicago"、"Why do I love you"などヒット曲を生み出した。
1953年、彼女たちは、ドーシーのバンドを辞める決断を下した。
主な理由は、ドーシーが彼女たちに相応しい報酬を払わなかったことと、ツアーをやめて家族とレコーディングに専念したいという彼女たちの希望でした。
ドーシーは、彼女たちが「センチメンタリスツ」という名前を使い続けることを許さず、その名前で知られていたことを宣伝情報に記すことも許さなかった。
こういった逆風にもめげず、彼女たちは諦めず、「クラーク・シスターズ」名義で、1960年代まで活動を続けた。

1944年のトミー・ドーシーの吹込みに名前が見える。

レコード・CD

「RCAジャズ栄光の遺産シリーズ/ザ・サウンド・オブ・スイング」(RCA RA61)
「オリジナル・トミー・ドーシー・ベスト・コレクション」(RCA RA-9007-08)