フルネーム:トーマス・ユージン・ターク(Thomas Eugene Turk)
1927年7月2日ペンシルヴェニア州ジョーンズタウン生まれ。
1981年8月4日ネヴァダ州ラスヴェガスにて死去。
『ジャズ人名辞典』未収録。
父親と兄はトランペット奏者だった。
小学4年生のとき初めてトロンボーンを手に入れた。
3人は隣人2人とバンドを組んでいたという。
バンドでポルカを演奏するため速く演奏するテクニックを身につけたという。
高校のバンドでさらに音楽的な経験を積み、1944年に卒業すると兄とミシガン大学の
キャンパス・バンドで一緒に演奏を続けていたが、トミーはすぐに兵役に取られた。
除隊後の1947年にペンシルベニア州ピッツバーグに移住した。
デュース・ワイルド・クインテットの一員として活動している時、
プロモーターのノーマン・グランツの目に留まったという。
そしてグランツから、彼が率いるツアー・グループに誘われた。
彼の出演は成功し、グランツはシカゴで演奏するために採用し、
1948年にはJ.A.T.P.の一員として数か月間演奏した。(?1946年J.A.T.P.での録音がある)
1949年、フリップ・フィリップスのバンドに加わり、1949年12月1日には、
レイ・ブラウンとバディ・リッチを含むグループを率いて、自己名義のレコーディングを行った。
しかし彼はピッツバーグにとどまることを決意し、人生を楽しむことができるとして、
1950年代もデュース・ワイルドで演奏を続けた。>
その後長年にわたり、ペンシルベニア州ブレントウッドのポイント・ビュー・ホテルで
演奏するカルテットを率いていたが、ラスベガスのハウスバンドで演奏するために移住した。
ラスベガスに住み、演奏活動を続けていた1981年8月4日、バーで4人のギャングに襲われ、
その内の一人15歳の少年によって射殺された。
ビリー・ホリディ1946年の吹込みに名前が見える。
"Billie Holiday/Kind of Holiday"(House of JAZZ 220121)
「ビリー・ホリデイの魂」(Verve MV 4025)
"Billie Holiday/Live and private recordings in Chronological order"