ミルドレッド・ベイリーは1929年ポール・ホワイトマン楽団の専属歌手としてデビューしたと言われるが、それはラジオ放送で歌ったもので、ホワイトマン楽団とのレコード吹込みは1931年10月になってからである。Wikipediaによるとレコード・デビューは、1929年エディ・ラング・オーケストラとのもので、これは「ミルドレッド・ベイリー 1929年」で取り上げた。
現在確認されているところでは、名前のクレジットされた最も早いレコーディング1930年5月8日フランキー・トランバウアーの楽団であり、続いてジミー・ヌーン楽団とのこの1931年1月12日の吹込みだと思われる。
当のホワイトマンとは1931年10月6日に初めてレコーディングを行っている。
Band leader & Clarinet | … | ジミー・ヌーン | Jimmie Noone |
Alto & Baritone sax | … | エディ・ポラック | Eddie Pollack |
Piano | … | ジンキ―・コーン | Zincy Cohn |
Banjo & Guitar | … | ウィルバー・ゴーハム | Wilbur Gorham |
Tuba | … | ビル・ニュートン | Bill Newton |
Drums | … | ジョニー・ウェルズ | Johnny Wells |
Vocal | … | ミルドレッド・ベイリー | Mildred Bailey |
CD3-13. | ヒーズ・ナット・ワース・オブ・ティアーズ | He's not worth of tears |
CD3-14. | トラヴェリン・オール・アローン | Travelin' all alone |
編成的にはセクステットと呼ぶべきだろう。なんといっても貴重なのはミルドレッド・ベイリーのヴォーカルが入っていることである。「ミセス・スイング」などと呼ばれる彼女は、1929年ポール・ホワイトマンの楽団でデビューした白人シンガーである。当時23歳若々しくなかなか堂々たる歌いっぷりである。
ヌーンとポラックの2管のアンサンブルは意外に厚みを感じさせる。