チャーリー・パーカー 1942年
Charlie Parker 1942
1941年バンドの歌手であるウォルター・ブラウンのヴォーカルをフューチャーしたピアノ・トリオによる「コンフェッシン・ザ・ブルース」が、50万枚を超すセールスを記録するビッグ・ヒットとなったジェイ・マクシャンのバンドは、ニューヨークの有名なボールルーム「サヴォイ・ボールルーム」での出演契約が成立します。バンドは42年1月9日から始まる<ホーム・オブ・ハッピー・フィート>に合わせ、41年末か42年初めにニューヨークに乗り込みます。バンドに在団していたチャーリー・パーカーも当然一緒でした。そしてこの時の演奏が大反響を引き起こすのです。
後にバードとも共演するトランぺッターのハワード・マギーは次のような証言をしています。マギーは当時チャーリー・バーネットのバンドにいました。彼と彼の仲間のミュージシャンは、サヴォイから放送されたマクシャン楽団が<チェロキー>の演奏を聴き、驚いたと言います。そして仕事が終わった後バンドのメンバーたちは、サヴォイへ行き、<チェロキー>をもう一度演奏するようリクエストするのです。すると新人アルト・プレイヤーが立ち上がってソロを吹いた、それがバードだったと。実は「チェロキー」はバーネット楽団が大ヒットさせた持ちネタでした。これらはこの曲を熟知していたのです。
マクシャン・バンドのベーシスト、ジーン・ラミーは次のようなエピソードを語っています。「サヴォイに出て最初の日曜日、我々はマチネーを演奏することになっていた。演奏を始めて15分くらい経ち、<チェロキー>を演奏していた時、スタジオの本社から来た人が現場のディレクターにこう言った。『彼らに続けさせろ、止めるな、演奏させろ。』リズム・セクションとバードだけで、時々リフは入ったが、さらに45分間演奏した。皆は言っていた。『あのバンドは何だ?サックスの演奏を聴いたか?あれは誰だ?』
マクシャンのバンドのニューヨーク・デビューは成功でしたが、まだ借金が残っており、より多くの聴衆を得るためにも、巡業を続けなければなりませんでした。彼らはオハイオ州やデトロイトなどにも演奏旅行に行きました。そのツアー中マクシャンにバードを採用したいという、コンタクトがアール・ハインズから寄せられます。ハインズは42年12月バンドのアルト・サックス奏者、スクープス・キャリーからバードの演奏を聴かせるためにクラブに連れて来られて聴き、途端に一遍に気に入ってしまっていたのです。
しかしこの頃にはバードのドラッグ常用はひどさを増し、デトロイトでバードはステージで意識を失う事件も起こしています。バードが意識を取り戻した時、マクシャンはバードにこう告げるのです。『お前はドラッグをやめられなかった。バンドを出てもらわなければならない。』こうしてバードはニューヨークに戻り、アール・ハインズのバンドに加わることになるのです。
しかし数か月後ハインズはバードを返すと連絡をします。バードは、バンド全員から借金をし、ハインズからプレゼントされたテナー・サックスもどこかに無くしてしまっていました。つまり手に負えないということなのでしょう。バードは既にこの頃から、麻薬中毒で衰弱しながら素晴らしい才能を示すという矛盾した状態にあったのです。しかしハインズ時代ばーどは大きな出会いを経験します。後に「心臓の鼓動の半分」とまで言い切る、ディジー・ガレスピーとの出会いです。この二人は依然カンサス・シティで出会っていますが、その時お互い競争意識のようなものを持ったと推測されますが、ハインズ時代にはお互いライヴァルではなく仲間として理解しあうようになっていました。
マクシャンのバンドは1942年1月9日にニュー・ヨークのサヴォイ・ボールルームへの初出演し、その年の夏にこの地を去るまでニュー・ヨークに滞在していました。その間ミュージシャンたちは夜ごと深夜営業のクラブへ出かけジャム・セッションで腕を磨いたりしていたのです。この録音はその時のもので、チャーリー・クリスチャンのミントンズ・プレイハウスでの貴重な録音などを行ったジェリー・ニューマンが行いました。録音場所はクラーク・モンローズ・アップタウン・ハウス。ニューマンは余りバードを好んでおらず。これが唯一のバードの録音です。
<Date&Place> … 1942年1〜3月 ニューヨーク/クラーク・モンローズ・アップタウン・ハウス(Clark Monroe's Uptown house New York)にて録音
<Personnel probably> … ジャム・セッション(Jam session)
<Contents> … 「アーリー・バード」(ITJ-70069)
A面8.「チェロキー」(Cherokee)
後年バードが最も得意とし、繰り返し演奏したナンバーの最も初期の演奏。ジェリー・ニューマン氏の非公式録音なので、1974年まで一般の人が聴くことは不可能だったという。
円熟期には及ばないものの四分音符=260という極めて速いテンポでスタートする。この速いテンポでバードは実に落ち着いた、スインギーなソロを展開していく。カール・ウォイデック氏は、譜面を交えながら2頁強に渡って詳細に解説している。しかし演奏が途中で途切れるのが残念。これまでの中で最も長尺のソロで聴き応えがある。
<Date&Place> … 1942年7月2日 ニューヨークにて録音
<Personnel> … ジェイ・マクシャン・アンド・ヒズ・オーケストラ(Jay McShann and his orchestra)
<Contents> … "Charlie Parker/A Studio choronicle"(JSP RECORD JSP915)
| CD1-11. | ロンリー・ボーイ・ブルース | Lonely boy blues |
| CD1-12. | ゲット・ミー・オン・ユア・マインド | Get me on your mind |
| CD1-13. | ザ・ジャンピン・ブルース | The jumpin' blues |
| CD1-14. | セピアン・バウンス | Sepian bounce |
「ロンリー・ボーイ・ブルース」
ウォルター・ブラウンの歌うブルース・ナンバー。イントロからヴォーカル前まで、最小の装飾音を伴ったメロディーを吹いているが、アド・リブによるソロではない。
「ゲット・ミー・オン・ユア・マインド」
こちらはヒブラーがヴォーカルを務めている。ソロはマクシャンのPが取っている。
「ザ・ジャンピン・ブルース」
これもウォルター・ブラウンのヴォーカル入り。ヴォーカルの合間にバードの短いソロが入る。ちょっと短すぎる、もっと吹いてほしい。ベイシー楽団ばりのリフで盛り上げるナンバー。
「セピアン・バウンス」
別名を「セピアン・ストンプ」とも言うらしい。こちらはヴォーカルが入らないインスト・ナンバー。ソロはまずマクシャン(P)、続いてテナー・サックスの短いソロが入り、バードに替わる。バードのソロも短い。
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