バディ・デフランコ 1944年
Buddy DeFranco 1944
1944年時は正に戦時下であり、徴兵制度の影響もあって、ビッグ・バンドが主流だったスイング・ジャズ界にも、ミュージシャン不足という深刻な影響を及ぼしていた。しかしそういった情勢ゆえに有名バンドに入るきっかけを得る者もいたのも事実であるが、そういった状況とは無関係に、登場して来た有能なミュージシャンも存在した。その一つの例が、クラリネットのバディ・デフランコであろう。
デフランコは、14歳(別資料では12歳)の時、トミー・ドーシーのラジオ番組の1コーナー、アマチュア・コンテストで優勝したことから、ドーシーに目を付けられていたのかもしれない。
ともかくデフランコは、ヴィクターがAFMとの和解に踏み切り、ドーシーがレコーディングを開始すると、すぐさまそのセッションに呼ばれ、初のレコーディングを経験することになる。
<Date&Place> … 1944年11月14日 ハリウッドにて録音
<Personnel> … トミー・ドーシー・アンド・ヒズ・オーケストラ(Tommy Dorsey and his orchestara)
<Contents> … 「RCAジャズ栄光の遺産シリーズ/ザ・サウンド・オブ・スイング」(RCA RA61)&「オリジナル・トミー・ドーシー・ベスト・コレクション」(RCA RA-9007-08)
| record3-A7&record2-B7. | 表通りで | On the sunny side of the street |
| record3-B1&record2-B6. | 作品1 | Opus 1 |
「表通りで」
よく知られたスタンダード・ナンバー。サイ・オリヴァーの手腕が冴えわたったナンバー。この日の録音から、ストリングスが入るようになる。総勢11人の豪華なストリンスとミュート・ブラスが柔らかなハーモニーを奏で、バリトン・サックスがアクセントをつける。ワウワウTpが短いソロを取り、ブラスのソリから、パイド・パイパースに代わって加わった、センチメンタリスツが見事なコーラスを聴かせてくれる。見事な作品だが、デフランコはアンサンブルの一員といった以上の役割はない。
「作品1」
サイ・オリヴァーの作品の中でも最も有名なナンバーの一つという。実にカッコいい曲だ。2カ所あるクラリネットのソロは、新加入のバディ・デフランコ。以下にドーシーもデフランコを認めていたかが分かる。デフランコはこの後モダン期に至るまで、見事な活躍ぶりを見せる逸材。ともかくオリヴァーのペンに感嘆させられる作品。
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