バンク・ジョンソン 1943年

Bunk Johnson 1943

バンク・ジョンソン

1942年ウィリアム・ラッセル氏らによって発見された伝説の巨人、バンク・ジョンソンは、初吹込みを行った。そのバンク・ジョンソンの1942年の録音を取り上げてふと気づいたことがある。もちろんアメリカン・ミュージック・レコーズ(American music records 以下略してA・M)の日本発売のために努力をされた河野隆次氏の解説を読んでのことだ。それはとことんバンク・ジョンソンに惚れこんだと思われる、A・Mのウィリアム・ラッセル氏が監修者に加わりながら、なぜA・Mレコードで吹込みをしなかったのかということである。答えは、当時、1942、43年A・Mというレコード会社はなかったからである。しかし今回取り上げる1943年の音源は「アメリカン・ミュージック・レコーズ(American music records)」となっている。それはどういうことか?それは多分日本だけで起こった現象なのだろう。
多分ラッセル氏は、販売目的のレコード化する予定はなく、記録として1942、43年バンクやジョージ・ルイスの練習風景などを録音していたのであろう。それをずっと後になって日本から河野氏というこれまた熱心な研究者のような人がやって来た。そこで氏は日本での販売を認め、河野氏と共にニュー・オリンズで原盤からマスター・テープ作成を行った。その原盤に1942、43年の録音も含まれていたのだろう。そしてそのマスター・テープに基づいてレコードが作られ、日本で発売された。その際河野氏達は当然のこととして、原盤はA・Mレコーズと記載した、ということであろう。しかし本来はラッセル氏はこの1942、43年の録音は発売する予定ではなかったものだということなのだと思う。もちろん会社設立後には、発表するつもりがあったのかもしれないが。その証拠に会社としてのA・Mレコーズを調べると設立は1944年とある。ラッセル氏は1944年から、自身のA・Mでバンク・ジョンソン中心としたニュー・オリンズ・ジャズを積極的に録音し始める。それがレコード会社としてのA・Mレコードの正式なスタートなのだろう。
1942年の10月にもジャズ・インフォメーション・レーベルでバンクのレコードが発売された。これらの録音では、専ら録音技師として仕事をしていたラッセル氏は、今度は自分のレーベルで、本格的にバンク・ジョンソンの演奏を発表しようと思い立ち、そしてアメリカン・ミュージック・レーベルを創設するに至った。
1942年の録音が発表されるとたちまちそのレコードは評判となり、バンクは一躍時の人として注目を集めることになります。そして特にディキシーランド・ジャズの人気が高かったサンフランシスコに招かれます。ラッセルは、サンフランシスコに出向いていたバンクを追って行き、主にニュー・オリンズ初期のジャズの形を知る手掛かりになるようなインタヴューやバディ・ボールデンの演奏スタイルはどうだったかなどという研究家としての面の強い録音を行った。それが今回取り上げる録音である。このことから1943年の録音は、資料的に実に重要なのである。音源は全て「初期のバンク・ジョンソン」(VC-4020)

「初期のバンク・ジョンソン」レコード・ジャケット

<Date & Place> … 1943年5月7日 サンフランシスコにて録音

<Personnel>

Talking , whistling & Pianoバンク・ジョンソンBunk Johnson

<Contents>

A面3.バディ・ボールデンズ・スタイルBuddy Bolden's style
A面4.ピート・ララズとデェゴ・トニーズPete Lala's & Dago Tony's
A面5.トニー・ジャクソン・アット・ビッグ・25Tony Jackson at Big 25
A面6.ベイビー・アイド・ラヴ・トゥ・スティール・ユーBaby I'd love to steal you

「バディ・ボールデンズ・スタイル」
ラッセル氏の問いに対してバンクはバディ・ボールデンのスタイルを口笛で説明する。この口笛は実にうまいものだ。
「ピート・ララズとデェゴ・トニーズ」
これもラッセル氏の問いに対して、バンクはPete Lala'sとDago Tony'sについて語る。Pete Lala'sとDago Tony'sともニュー・オリンズにあったキャバレーの名前である。Dago Tony'sはホンキー・トンク風(安酒場)風のクラブで、バンクのいたイーグル・バンドが出演したが、若きルイ・アームストロングがステージのピアノの陰で訊き勉強したという。
「トニー・ジャクソン・アット・ビッグ・25」
ピート・ララでよくピアノを楽しんだトニー・ジャクソンの説明。
「ベイビー・アイド・ラヴ・トゥ・スティール・ユー」
そのトニーと共作したという”Baby I'd love to steal you”をピアノで弾く。

バンク・ジョンソンとバーサ・ゴンサリン

<Personnel> … バンク・ジョンソンとバーサ・ゴンサリン(Bunk Johnson&Bertha Gonsoulin)

Trumpetバンク・ジョンソンBunk Johnson
Pianoバーサ・ゴンサリンBertha Gonsoulin

<Contents>

A面7.パレット・オン・ザ・フロアー テイク1Pallet on the floor take1
A面8.パレット・オン・ザ・フロアー テイク2Pallet on the floor take2
B面1.パレット・オン・ザ・フロアー テイク3Pallet on the floor take3
B面2.パレット・オン・ザ・フロアー テイク4Pallet on the floor take4
B面3.プレンティ・トゥ・ゴーPlenty to do

バディ・ボールデンが作曲したという”Pallet on the floor”をピアノのバーサと一緒にプレイする(写真右)。そしてもう1曲”Plenty to do”もデュオでプレイする。この曲は先に口笛で吹いた曲である。テイクそれぞれ趣を変えて演奏している。そして抒情的な曲でピアニストとの掛け合いが良い味を出している。
この演奏については、ガンサー・シュラー氏もその著『初期のジャズ』で、言及している。曰く「リズムは、のんびりした2分音符のパターンに乗って、軽く、ほとんどゆっくりスイングする。このスタイルは、ラグタイムにもよく似ていた。バンクのいくつかの変奏の際に最も普遍なこれらの音型は、相互に密接に関連する二つの分野、ラグタイムとマーチの楽句の素晴らしい総合である。バンクの行ったボールデンの模倣におけるラグタイムの遺産は、彼の演奏と伴奏者、ニュー・オリンズのピアニストのバーサ・ゴンサリンの演奏とを比較すると一層はっきりする。ピアノの根本的には打楽器的なタッチと金管楽器で可能なレガートの楽区の間に違いはあるものの、両者の音型の大半は同じままである。ラグタイムはピアノ志向の音楽であるのだが、バンクのコルネットのおかげで曲の流れが一層滑らかにされる。」そしてまたシュラー氏は、バンクによって復元された演奏を聴くと、ニュー・オリンズにおいてラグタイムは、即興を許されなかったことが分かると述べているが、レコード解説で河野隆次氏は、「パレット・オン・ザ・フロアー」のテイク1〜4の演奏はそれぞれ趣が異なる。インプロヴィゼイションが主なジャズの特色であり、魅力であると述べ、バンクのヴァリエーション豊かな変奏について述べている。確かに4ヴァリエーションアルトいことは変奏しているということで、シュラー氏の言う許されないことをしていることになる。??

「初期のバンク・ジョンソン」レコード・A面

<Date & Place> … 1943年5月10日 サンフランシスコにて録音

<Personnel> … バンク・ジョンソンとバーサ・ゴンサリン(Bunk Johnson&Bertha Gonsoulin)

Trumpetバンク・ジョンソンBunk Johnson
Pianoバーサ・ゴンサリンBertha Gonsoulin

<Contents>

B面4.ベイズン・ストリート・ブルースBasin street blues
B面5.セント・ルイス・ブルースSt. Louis blues

前録音から4日後再びバーサとデュオを行う。この日はどちらも超有名曲を演奏している。「ベイズン・ストリート・ブルース」はかなり崩して吹いている。河野氏は後半のバーサのピアノはジェリー・ロール・モートンを偲ばせる素晴らしいものと書いている。
「セント・ルイス・ブルース」も一種独特のものだが、これがバンク風だともいう。両曲ともかなり崩している、ということは変奏しているということである。シュラー氏大丈夫だろうか?

「初期のバンク・ジョンソン」レコード・B面

<Date & Place> … 1943年5月15&?日 サンフランシスコ・エドガー・モスレィ宅にてにて録音

<Personnel> … バンク・ジョンソンズ・バンド(Bunk Johnson's band)

Band leader & Trumpetバンク・ジョンソンBunk Johnson
Tromboneジム・ロビンソンJim Robinson
Clarinetジョージ・ルイスGeorge Lewis
Banjoロウレンス・マレロLawrence Marrero
Tubaシドニー・“ジム・リトル”・ブラウンSidney“Jim little”Brown
Drumsエドガー・モスレイEdger Mosley

<Contents>

B面6.パシフィック・ストリート・ブルースPaciffic street blues

この原曲はクライマックス・レコードの”Two Jim blues”であるという。評論家のビル・カルボーン氏がビル・ラッセル氏ところへ送って来たレコードに、Tpが加わっていないセッションだったので、バンクが音を被せたという珍品。確かに不自然な音だ。このことは発表しないでもらいたいというラッセル氏の希望に反して敢えて公表するとは河野氏は勇ましい。
録音データでは、1943年5月のある日サンフランシスコで録音したとある。そしてオリジナルは43年5月15日にエドガー・モスレィ宅にて録音されたとある。これとは別のジョージ・ルイス名義のレコード”George Lewis 1943・1945”に1943年5月15日ニュー・オリンズ録音のセッションが収録されているが、それはジョージ・ルイス 1943年」を参照のこと。

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