ウッディ・ハーマンのファースト・ハードは、1945〜1946年にかけて正に実力、人気とも絶好調だったと言える。しかしかつて団結を誇ったバンドにも、ギャラに不満を持つものや運営などに不満を言うものなども出始め、多少のほころびが見え始める。そしてリーダーのハーマン自身にも休養が必要であった。1936年以来10年間バンドを維持し、苦闘してきたのだ。そしてやっと生涯の成功が訪れたのである。ハーマンは初めて8日間の休暇を取り、バミューダにヴァカンスに出かけた。1946年秋にはビヴァリー・ヒルズのハンフリー・ボガードの住んでいた豪華な家を買い取ることもできた。そんな中でハーマンは、12月10日にレコーディングを終えた、12月下旬のある夜、インディアナ大学のダンス・パーティに出演した後、突然の解散宣言をし、バンドのメンバー、ファンたちをびっくりさせるのである。かくして、1947年1月実力、人気とも頂点にあったウディ・ハーマンの楽団は解散するのである。
ハーマンは、バンドを解散し、家族と楽しく日々を送ろうと決めた。趣味でゴルフも始めた。土曜の夜は、ハリウッドで最も人気のあるディスク・ジョッキー、アル・ジャーヴィスの代役を務めたり、47年5月にはピック・アップ・メンバーでレコーディングもし、コロンビアにサーヴィスもした。しかしハーマンは満足できなかった。彼は所詮バンドと共に生き、常に新しいアイディアに挑むミュージシャンだったのだ。ハーマンは心底から何か創造的なことを手掛けずにはおられなかった。そして解団して1年足らず、1947年秋にはメンバーをほぼ一新してバンドを結成し、リハーサルを始めるのである。こうしてハーマンのセカンド・ハードは誕生するのである。
| Band leader , Alto sax , Clarinet & Vocal | … | ウッディ・ハーマン | Woody Herman | ||||||||||||
| Trumpet | … | バーニー・グロウ | Bernie Glow | 、 | アーニー・ロイヤル | Ernie Royal | 、 | アーヴ・マルコヴィッツ | Irv Markowitz | 、 | ショーティ・ロジャース | Shorty Rogers | 、 | スタン・フィッシェルソン | Stan Fishelson |
| Trombone | … | アール・スォープ | Earl Swope | 、 | オリィ・ウィルソン | Ollie Wilson | |||||||||
| Bass Trombone | … | ボブ・スィフト | Bob Swift | ||||||||||||
| Alto sax | … | サム・マロヴィッツ | Sam Marowitz | 、 | ハービー・スチュアード | Herbie Steward | |||||||||
| Tenor sax | … | スタン・ゲッツ | Stan Getz | 、 | ズート・シムス | Zoot Sims | |||||||||
| Baritone sax | … | サージ・チャロフ | Serge Chaloff | ||||||||||||
| Piano | … | フレッド・オーチス | Fred Otis | ||||||||||||
| Guitar | … | ジーン・サージェント | Gene Sargent | ||||||||||||
| Bass | … | ウォルト・ヨンダー | Walt Yoder | ||||||||||||
| Drums | … | ドン・ラモンド | Don Lamond | ||||||||||||
| Vocal | … | マリー・アン・マッコール | Mary Ann McCall | ||||||||||||
| Arrangement | … | ラルフ・バーンズ | Ralph Burns |
1946年12月10日からの移動。
Trumpet … カッピー・ルイス、コンラッド・ゴゾー、ボブ・ペック、チャック・ピーターシュ、アル・ポーシノ ⇒ バーニー・グロウ、アーニー・ロイヤル、マーキー・マルコヴィッツ、ショーティ・ロジャース、スタン・フィッシェルソン
Trombone … ラルフ・ヘフナー、ビル・ハリス、エド・キーファー ⇒ アール・スォープ、オリィ・ウィルソン
Bass Trombone … ボブ・スィフト ⇒ In
Alto sax … ジョン・ラポータ ⇒ ハービー・スチュアード
Tenor sax … フリップ・フィリップス、ミッキー・フォーラス ⇒ スタン・ゲッツ、ズート・シムス
Baritone sax … サム・ルビノヴィッチ ⇒ サージ・チャロフ
Piano … ジミー・ロウルズ ⇒ フレッド・オーチス
Guitar … チャック・ウエイン ⇒ ジーン・サージェント
Bass … ジョー・モンドラゴン ⇒ ウォルト・ヨンダー
ほぼ総入れ替えである。これでバンドはどうなったかと言えば、ファースト・ハードでは、史上類稀なる陽気でエキサイティングなスイングを持っていたのに比べて、より地味で内向的な傾向が強い。一口に言えば、ファースト・ハードは「バップ・バンド」で、セカンド・ハードは「クール・バンド」と言える。では実際に演奏を聴いていこう。
| record3 B面2. | アイ・トールド・ヤー・アイ・ラヴ・ヤー | I told ya I love yas , now get out | 10月19日 |
| record3 B面3. | キーン・アンド・ピーチー | Keen and peachy | 12月22日 |
| record3 B面7. | アイヴ・ゴット・ニューズ・フォー・ユー | I've gotnews for you | 12月22日 |
| record3 B面4. | レイジー・ララバイ | Lazy lallaby | 12月24日 |
| record3 B面5. | ザ・グーフ・アンド・アイ | The goof and I | 12月24日 |
| record3 B面1. | サマー・シークエンス 第4部 | Summer sequence part4 | 12月27日 |
| record3 B面8. | フォア・ブラザース | Four brothers | 12月27日 |
| record3 B面6. | P.S.アイ・ラヴ・ユー | P.S. I love you | 12月31日 |
話は1945年にさかのぼる。スタン・ケントン楽団にジーン・ローランドというTp奏者がいた。スタン・ゲッツも同じころケントン楽団にいた。1946年ゲッツがベニー・グッドマンのバンドをクビになった後、ゲッツはバディ・モロウやランディ・ブルックスなどのバンドで糊口をしのいでいた。そしてジーン・ローランドが1946年ニューヨークに出て、テナー・サックス四重奏を含むコンボを作った時にゲッツも参加した。のである。四重奏を担当するテナー・マンはアル・コーン、ジョー・メグロ、ルイス・オット、そしてゲッツであった。しかしこの時は世間の注目を惹くことはなかった。
ゲッツはニューヨークで7月31日初のリーダー作を吹き込み、その後ロスアンゼルスにべヴァリー・バーンと戻り、11月に結婚式を挙げるのである。ゲッツはロスでバッチ・ストーンの七重奏団に加入する。そしてそこにはTpそして作・編曲を手掛けるショーティ・ロジャースやハービー・スチュアードがいた。そこでゲッツはハービー・スチュアードと親しくなる。二人はストーンの楽団を辞め、ジーン・ローランドが結成した2度目の4本テナーのバンドに加わった。この時の4本テナーが、ゲッツ、スチュアード、ズート・シムス、ジミー・ジュフリーの4人であった。この新生ローランドのバンドは、スパニッシュ・ボールルームに出演し、ラテンもので客席を沸かせ、4本テナーによる種々の実験を重ねていた。新しいバンドにおける新しいサウンドを考えていたウディ・ハーマンは、この独特なバンドのことを聞きつけ、このユニークなサックス・カルテットをそっくりそのまま新しいバンドで使おうと引き抜くのである。ハーマンはゲッツ、スチュアード、ズート・シムスを雇ったが、ジュフリーは雇わず、バリトン・サックスのサージ・チャロフを入れた。そしてジュフリーには、このリード・セクションをフューチャーする新しい曲を書くことを依頼する。こうしてできたのが「フォア・ブラーズ」なのである。