世界史の大きな流れは、日独伊枢軸国と英米仏連合国の対立がより深まり、第二次世界大戦が不可避なものになっていった年と言うことができますが、具体的にはどのように動いていたのでしょう?簡単に振り返ってみましょう。
<日本>
アメリカでは、11月3日に大統領選挙が行われ 民主党の現職フランクリン・ルーズヴェルトが圧勝します。左図で明らかなように48州中対立候補共和党のアルフレッド・ランドン(Alfred Landon)が獲得した州は2州だけであり、正に圧勝でした。アメリカ経済は不況を脱却したとはまだ言えない状況でしたが、ルーズヴェルトが強力に推し進めるニュー・ディール政策の社会保障や失業給付のような政策が大半のアメリカ人に高い人気を得ており、不況脱却への手ごたえを多くの民衆が感じていたことから支持を集めたものと思われます。
<ボクシング>
<プロ野球>
この年の第8回(1936年3月発表)アカデミー賞の作品賞に輝いたのは「戦艦バウンティ号の叛乱」(Mutiny on the Bounty)。左写真はそのポスター。主演はイギリスの名優チャールズ・ロートン、前年度オスカーを手にしたクラーク・ゲーブルも出演しています。物語は18世紀後半タヒチ島からジャマイカ島に向かった戦艦バウンティ号で実際に起こった反乱を題材としているのだそうです。日本では1938年に公開され、その時は戦艦で叛乱が起こるのはまずいだろうということで、「南海征服」という日本タイトルが付けられたといいます。しかし開戦間近となった1938年でもまだアメリカ映画が公開されていたことが、僕には意外です。
| 順位 | アーティスト | 曲名 |
| 1 | ビング・クロスビー(Bing Crosby) | ペニーズ・フロム・ヘヴン(Pennies from heaven) |
| 2 | フレッド・アステア(Fred Astaire) | 今宵のあなた(The way you look tonight) |
| 3 | ベニー・グッドマン(Benny Goodman) | グッディ、グッディ(Goody Goody) |
| 4 | ビリー・ホリデイ(Billie Holiday) | サマータイム(Summertime) |
| 5 | ベニー・グッドマン(Benny Goodman) | グローリー・オブ・ラヴ(Glory of love) |
| 6 | レッドベリー(Leadbelly) | グッドナイト・アイリーン(Goodnight Irene) |
| 7 | ロバート・ジョンソン(Robert Johnson) | クロスロード・ブルース(Cross road blues) |
| 8 | シェップ・フィールズ・アンド・ヒズ・リッピング・リズム・オーケストラ(Shep Fields & his ripping rhythm orchestra) | ディド・アイ・リメンバー?(Did I remember ?) |
| 9 | ファッツ・ウォーラー(Fats Waller) | 嘘は罪(It's a sin to tell a lie) |
| 10 | トミー・ドーシー(Tommy Dorsey) | アローン(Alone) |
年間ヒットチャートの第1位に輝いたのは、ビング・クロスビーの「ペニーズ・フロム・ヘヴン」。ジョニー・バーク作詞アーサー・ジョンソン作曲でこの年1936年公開の同盟タイトルの映画で使われました。2位はフレッド・アステアの「今宵のあなた」。両曲とも現在でもスタンダードとしてジャズメンに演奏されています。そして両曲ともこの年ビリー・ホリデイもレコーディングしています。
3位と5位には昨年大ブレークしたベニー・グッドマンのナンバーが入っていますが、これは「ベニー・グッドマン 1936年」で取り上げます。4位のビリー・ホリデイの「サマータイム」が意外です。前年10月10日ブロードウェイで初演された主な出演者は黒人だけというミュージカルの冒頭で歌われるナンバーです。これについてもが「ビリー・ホリデイ 1936年」で取り上げます。
6位も非常に意外です。レッドベリー(写真右)は以前にも登場しています(「僕の作ったジャズ・ヒストリー 19 初期のスイング 1934年」)です。殺人未遂罪でルイジアナ州の刑務所に収監されていたところをジョンとアラン・ロマックス親子に発見されました。親子は彼に才能や演奏者としての特異性を見出し、議会図書館に数百曲もの録音を残しました。また親子はルイジアナ州知事にレッドベリーの放免を働きかけ、1934年後半に実現します。しかし彼は1939年脅迫の罪名で再び刑務所に入ることになります。この間に吹き込まれたレコードであると思われます。この曲は古くからあるアメリカのフォーク・ソングですが、このレッドベリーのレコードで初めて世に紹介されることとなります。後にピート・シーガーのウィーバーズやフランク・シナトラが歌い大ヒットとなり、今ではスタンダード・ナンバーとなっています。
ぼくはこの"Top 60 pop songs"というサイトを見ていて、時たま「ホンマかいな?」と思うことがあります。例えば1929年度第5位にランクされたチャーリー・パットンの『ポニー・ブルース』そしてこの7位にランクされたロバート・ジョンソンの『クロスロード・ブルース』です。伝説のブルース・マンと言われる彼のこの曲は後にエリック・クラプトンがメンバーだったスーパー・グループ、<クリーム>に取り上げられ大ヒットします。これについても「ロバート・ジョンソン 1936年」で取り上げます。
8位にランクされたシェップ・フィールズ・アンド・ヒズ・リッピング・リズム・オーケストラは、元々クラリネットやサックスをプレイしていたシェップ・フィールズが率いたダンス・バンドです。9位のファッツ・ウォーラーについても「ファッツ・ウォーラー 1936年」で取り上げます。トミー・ドーシーについても「トミー・ドーシー 1936年」で取り上げますが、10位にランクされたこの曲(『アローン』)は収録されていません。
11位以下のランキングを見ても、ベニー・グッドマンやビリー・ホリデイ、トミー・ドーシーなどジャズ系が複数曲入っていますが、ロバート・ジョンソンも他に2曲ほどランクインしているのが驚きです。
前置きが長くなりました。1936年のジャズの動きを見て行きましょう。
[トミー・ドーシー]
ビッグ・バンドの名門「フレッチャー・ヘンダーソン・アンド・ヒズ・オーケストラ」は1934年バンドを解散し、1935年はベニー・グッドマンなどにアレンジを提供するといった音楽活動を行っていました。自らのアレンジが受けていることを見て「ようし、俺も!」と思ったのかどうかは分かりませんが、この年バンドを復活させ、年間に19曲のレコーディングを行います。それがなかなか良いのです。詳しくは「フレッチャー・ヘンダーソン 1936年」をご覧ください。
この年チック・ウエッブのレコードで重要なのは、何といってもジャズ史上最高の女性歌手の一人、エラ・フィッツジェラルドが吹込みに加わっていることです。エラは1934年11月21日アポロ・シアターのアマチュア・ナイツで優勝し、ウエッブのバンドと契約を行います。ディスコグラフィーによれば、1935年に4面分の録音を行いますが、僕の持っているチックのレコードには収録されていません。しかし僕の持っている1936年のチックのレコードには約20面分の彼女の歌が録音されています。
カウント・ベイシーは久しぶりの登場です。ベイシーはベニー・モーテンの楽団に在籍していましたが、1932年モーテンの楽団はヴィクターとの契約が切れ、レコーディングは行われなくなっていました。しかしモーテンのバンドは地元カンサス・シティでは最強を謡われ、大いに活躍していたのです。しかし御大のモーテンは1935年4月2日簡単なはずの扁桃腺の手術が失敗し、この世を去ってしまいます。ベニーが不在となったバンドを弟のバスター・モーテンが引き継ぎますが、ベイシーはこのバンドを辞め、カンサス・シティでソロやトリオで演奏を行っていたといいます。
ベイシーの楽歴に上記のように書かれるアンディ・カーク。メリー・ルー・ウィリアムスと共に日本では最も過小評価されているジャズメンの一人と言ってもよいのではないでしょうか?粟村政昭氏はその著『ジャズ・レコード・ブック』において、「その昔彼の率いるオーケストラは、カンサス・シティ在住のバンドでありながら、ベニー・モーテンに代表されるリフ中心のジャンプ・バンドには聴かれない洒落たアレンジの数々のアレンジを用い、力強さと野暮ったさで売ったカンサス・シティ・グループの中で一際異彩を放つ存在となっていた」と書いています。。
この年もベニー・グッドマンのセッションや自身のブランズウィックにおけるセッション・シリーズなど活発な活動を行います。ブランズウィック・セッションにおいて歌手として参加しているのはこの年もビリー・ホリデイが最も多いですが、ベニー・グッドマンとセットでBG楽団の専属歌手ヘレン・ウォードも二人とも変名で加わっています。レコードとしてはビリーの参加録音はビリーのレコードに、ビリー不参加、およびインストだけのものはテディ・ウィルソンのレコードに収録されています。
[ロバート・ジョンソン]
このコーナーは、ミュージシャンの自伝や評伝に出てくる記述で1936年とはどういう時代だったのかを探ってみようというコーナーです。僕が持っている自伝・評伝はそれほど多くはなく、また僕の力量の低さなどからうまくいくかどうか不安ですが、トライしてみます。| ミュージシャン名 | 生年月日 | 生地 | 自伝・評伝 | 著者 |
| セロニアス・モンク | 1917年10月10日 | ノース・カロライナ州・ロッキー・マウント | 評伝『セロニアス・モンク』 | ロビン・ケリー |
| チャーリー・パーカー | 1920年8月29日 | ミズーリ州カンサス・シティ | 評伝『バードは生きている』 | ロス・ラッセル |
| チャールズ・ミンガス | 1922年4月22日 | アリゾナ州ノガレス | 自伝『負け犬の下で』 | チャールズ・ミンガス( |
| マイルス・ディヴィス | 1926年5月26日 | イリノイ州オルトン | 自伝『自叙伝』 | マイルス・ディヴィス&クインシー・トループ |
| ジョン・コルトレーン | 1926年9月23日 | ノース・カロライナ州ハムレット | 評伝『ジョン・コルトレーン』 | 藤岡靖洋 |
| スタン・ゲッツ | 1927年2月2日 | ペンシルヴァニア州フィラデルフィア | 評伝『スタン・ゲッツ』 | ドナルド・L・マギン |
| ビル・エヴァンズ | 1929年8月16日 | ニュージャージー州プレンフィールド | 評伝『幾つかの事情』 | 中山康樹 |
| 穐吉敏子 | 1929年12月12日 | 旧満州国遼陽 | 自伝『ジャズと生きる』 | 穐吉敏子 |
| ウエイン・ショーター | 1933年8月25日 | ニュージャージー州ニューアーク | 評伝『フットプリンツ』 | ミシェル・マーサー |
[セロニアス・モンク]
[チャーリー・パーカー]
[ジョン・コルトレーン]